飫肥城下町の町並み保存 - 宮崎県立図書館資料から読み解く町おこしの軌跡

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飫肥城下町の町並み保存 - 宮崎県立図書館資料から読み解く町おこしの軌跡

飫肥の町おこしを記録した公的資料「日南市の人物と民俗」

宮崎県立図書館が公開している「日南市の人物と民俗 [PDF]」という資料には、飫肥城下町の町並み保存に関する詳細な記録が残されています。

この文献を読んだとき、とても胸が熱くなりました。

私たちは旅を愛し、各地の歴史をこの目で見て回りますが、その裏でその地に生きる人々がどれだけの努力を行ってきたか。その上で作り上げられた現在の観光地というものに、もっと感謝しなければならないと強く思いました。

本記事では、この資料に記された飫肥城下町の町並み保存の歴史を要約してお伝えします。

資料の概要

この資料には、飫肥城下町が1977年に九州初の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるまでの経緯と、その後の取り組みが記録されています。

主な内容は以下の通りです。

飫肥城復元事業の始まり(1974年)

資料によると、1974年に当選したばかりの市長が「飫肥城復元事業」を打ち出しました。

自主財源がなかったため「飫肥城復元促進協力会」を発足させ、全市をあげての募金活動を推進。同時に市議会で「文化財保存都市宣言」を決議し、古い町並みを生かした町おこし戦略を明確にしました。

伝建地区選定への道のり

飫肥城下町 町並み保存の歩み
文化財保護法改正、重要伝統的建造物群保存地区制度の創設
保存地区の決定、保存条例制定、振徳堂修復
九州初の重要伝統的建造物群保存地区に選定
大手門復元、歴史資料館建設、飫肥城下まつり開始
松尾の丸建設

総事業費5億1,800万円のうち、2億2,000万円を市民募金で賄ったと記されています。

住民主導の商店街づくり

資料で特に注目すべきは、本町通り商店街の取り組みです。

国道222号のバイパス計画に対し、1970年に「本町通り拡幅期成会」を結成。県や国への陳情を重ね、1973年に現道拡幅への変更を勝ち取りました。

さらに1978年には「本町通り町並み研究会」を結成し、行政の手を借りずに自主的な町並みルールを策定。城下町にふさわしい和風の商店街を住民の力で作り上げました。

その後の継続的な取り組み

資料には、伝建地区選定後の取り組みも記録されています。

  • 1982年:道路側水路への鯉放流、電柱移転
  • 1989年:道路標識の減少・小型化
  • 1993年:小村記念館、飫肥郷土芸能館の建設

資料から読み取れること

この資料から読み取れる飫肥の町並み保存の特徴は、以下の3点です。

  1. 行政と住民の協働 - 飫肥城復元事業、伝建地区選定、本町通り拡幅という三つの事業を同時期に推進
  2. 市民参加型の資金調達 - 総事業費の約42%を市民募金で賄った
  3. 住民の自主性 - 商店街が自ら町並みルールを策定

飫肥の方々の努力が一人でも多くの人に伝わり、自治体の町おこしや観光地化に関する情報の一助になれば幸いです。興味のある方は是非文献を読んでみてください。

日南市の人物と民俗 [PDF] - 宮崎県立図書館
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