- 桝形虎口とは?最強の虎口と呼ばれる城門構造を解説
- 桝形虎口とは城の入口に設けられた方形の防御空間。敵の進行を遅らせ、三方から攻撃を浴びせる「最強の虎口」の構造・種類・歴史を、飫肥城や江戸城桜田門の実例とともに解説。
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ひとつの城をめぐって、二つの大名家が約100年も争い続けた。そんな歴史を持つ城が、宮崎県日南市にあります。
飫肥杉で復元された大手門、敵を翻弄する巨大な枡形虎口、樹齢140年の杉が林立する「癒しの森」。城郭としての魅力と、心を落ち着かせる自然が共存するこの城の見どころを紹介していきます。

飫肥城(おびじょう)は、宮崎県日南市にある城跡です。1588年(天正16年)から明治維新まで約280年間、伊東氏5万1千石の居城として栄えました。日本100名城にも選定されており、「九州の小京都」と呼ばれる城下町とともに多くの観光客が訪れます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 飫肥城(おびじょう) |
| 所在地 | 〒889-2535 宮崎県日南市飫肥 10-1 |
| 営業時間 | 9:30 〜 16:30 |
| 定休日 | 飫肥城由緒施設:12月29日・30日・31日 |
| 入場料 | 城跡見学は無料。歴史資料館などは共通券(大人800円)で複数施設入場可 |
| 公式サイト | https://obijyo.com/ |

飫肥城の正門である大手門は、1978年(昭和53年)に復元されました。明治時代に取り壊された城の建物を、地元産の飫肥杉を使って蘇らせたものです。
高さ約12m、幅約7mの堂々たる櫓門で、樹齢約100年の飫肥杉が4本使われています。釘を一切使わない伝統的な「組式」工法で建てられ、屋根には平瓦と丸瓦を交互に並べる「本瓦葺き」が採用されています。

大手門は、時間経過と共に風合いを増す飫肥杉の太い柱と、それを活かす伝統工法が創り出す、重厚な雰囲気が魅力です。飫肥城を訪れたら、まずこの大手門で城の風格を感じてみてください。

大手門をくぐると、広い四角形の空間が現れます。「枡形虎口」(ますがたこぐち)と呼ばれる、飫肥城が誇る防御構造です。

飫肥城の枡形虎口は、四方を鉄砲狭間付きの土塀で囲まれた巨大な空間になっています。敵がこの空間に入ると、三方の城壁から一斉に攻撃を浴びせることができました。
さらに、飫肥城では直角の方向転換だけでなく、180度の折り返しを強いる箇所もあります。敵は完全に足を止めなければ先に進めず、その間も守備兵の攻撃にさらされ続けることになります。

枡形虎口の仕組みや飫肥城での構造については、以下の記事で詳しく紹介しています。
枡形虎口について詳しく見る

旧本丸跡は、かつて藩主の御殿があった場所です。現在は建物はなく、樹齢140年を超える飫肥杉が天に向かってまっすぐに伸び、地面は深い緑の苔で覆われています。
杉の木立の間から差し込む木漏れ日と、足元に広がる苔の絨毯。城の中心部でありながら、静けさに包まれたこの空間は「癒しの森」と呼ばれ、飫肥城でも人気のスポットになっています。
ひとたび旧本丸跡に立ち瞳を閉じると、静けさの中から微かに聞こえてくる木々たちのささやき声。
マイナスイオン全開のこの森は、飫肥城最大の見どころです。

2004年(平成16年)放送のNHK連続テレビ小説『わかば』では、この旧本丸跡と北門がたびたび登場しました。
飫肥城の一角には、相合わさって並ぶ4本の杉があります。「4本が合わさる」ことから「しあわせ杉」と呼ばれるようになりました。

4本の杉を結ぶ対角線の中心には目印の石が置かれており、この場所に立つと幸せのパワーをもらえるといわれています。飫肥城を訪れたら、ぜひ中央に立って記念撮影をしてみてください。

松尾の丸は、1979年(昭和54年)に復元された書院造りの建物です。江戸時代初期の上級武士の屋敷を参考に再現されました。建材には飫肥の百年杉がふんだんに使われています。

建物内には御座の間、茶室、御寝所、湯殿、台所、御蔵などがあり、当時の暮らしぶりを垣間見ることができます。


松尾の丸には、「湯殿」と呼ばれる、昔の蒸し風呂が展示されており必見ポイントです。京都・西本願寺にある国宝「飛雲閣」の浴室を模した造りで、大変珍しいものとなっています。


飫肥城歴史資料館は、2022年(令和4年)3月にリニューアルオープンした施設です。飫肥藩ゆかりの歴史資料約220点が展示されています。
館内には、初代藩主・伊東祐兵や家臣の甲冑、名刀工・井上真改らの刀剣、武具、古文書、衣服などが並びます。プロジェクションマッピングやCG映像で飫肥城と飫肥藩の成り立ちを紹介するコーナーもあるほか、実際に日本刀や火縄銃を手にできるコーナーなどもあり、歴史に詳しくなくても楽しめる内容になっています。



松尾の丸や飫肥城歴史資料館内部の様子は、以下で詳しく紹介しています。
飫肥城は、南北朝時代(14世紀ごろ)に土持氏によって築かれました。その後、伊東氏と島津氏の間で約100年にわたる争奪戦が繰り広げられます。
当時の飫肥は、油津と外浦という二つの港を持ち、明や琉球との貿易拠点として重要な地でした。さらに良質な飫肥杉の産地でもあり、両家にとって手放せない土地でした。
1587年(天正15年)、豊臣秀吉の九州平定によって争奪戦に終止符が打たれます。翌年、秀吉に仕えていた伊東祐兵が飫肥城主となり、以後約280年間、14代にわたって伊東家がこの地を治めました。
江戸時代には3度の大地震に見舞われ、城は大規模な改修を余儀なくされます。このとき石垣が築かれ、飫肥城は中世の群郭式と近世城郭の両方の特徴を持つ城へと生まれ変わりました。
明治維新後、城の建物はすべて取り壊されましたが、昭和に入り大手門や松尾の丸が復元され、現在の姿となっています。

| 土持氏により築城 | |
| 伊東氏と島津氏の争奪戦が始まる | |
| 豊臣秀吉の九州平定 | |
| 伊東祐兵が初代飫肥藩主となる | |
| 3度の大地震により城を大改修 | |
| 廃藩置県 | |
| 城の建物をすべて取り壊し | |
| 大手門を復元 | |
| 松尾の丸を復元 |
車の場合、東九州自動車道 日南東郷ICより約10分、宮崎空港からは約40〜60分です。飫肥城のすぐ近くに「飫肥城観光駐車場」があり、無料で駐車できます。

電車の場合、JR日南線 飫肥駅より徒歩約20分です。
飫肥駅にはレンタサイクル(500円/日)があり、それを利用すれば飫肥城までは約 7 分と移動時間を短縮できます。

伊東氏と島津氏が100年にわたって奪い合い、その後280年間伊東家が守り続けた飫肥城。明治に建物は失われましたが、石垣や堀は当時のまま残り、大手門や松尾の丸は地元の飫肥杉を使って蘇りました。

枡形虎口に残る防御の知恵、旧本丸跡に広がる杉と苔の静けさ、歴史資料館で出会う藩主ゆかりの品々。飫肥城には、城郭の魅力と癒しの自然が共存しています。
「九州の小京都」と呼ばれる城下町とあわせて、ゆっくりと散策してみてください。
