
- 松山城の天守を徹底解説!現存12天守×連立式構造の美と迫力!
- 現存12天守のひとつ「松山城」。この城が特別な理由は、全国でも珍しい連立式天守の構造美と眺望、そして現存する歴史的建築群にあります。
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愛媛県松山市の中心部にそびえ立つ松山城。この城には、他の城では決して味わえない特別な体験が待っています。
なぜなら松山城は、日本に現存する12の天守の中で最も高い場所に建つ城であり、しかも姫路城と並ぶ世界でたった2つしかない連立式天守を持つ、極めて希少な存在だからです。
しかし、松山城の真の魅力はその希少性だけにあるのではありません。
関ヶ原の戦いの功労者である戦国武将・加藤嘉明が25年の歳月をかけて築き上げたこの城は、徹底的に防御を追求した難攻不落の要塞として設計されました。敵を欺く隠門、挟み撃ちを可能にする門の配置、17メートルの高さを誇る登り石垣、そして「七曲り」と呼ばれる複雑な天守への道のり。
その防御力は歴史が証明しています。完成から400年以上が経過した現在まで、松山城は一度たりとも敵に攻め落とされたことがありません。
今回の記事では、そんな松山城の防御戦略を実際に歩いて体感する散策ルートをご紹介します。ロープウェイで山頂駅に降り立った瞬間から、連立式天守の最上階で松山市街を見下ろすまで、一緒に戦国武将の視点で城を巡ってみましょう!
松山城は山の上にあるので、往路はロープウェイで向かいます。
松山城ロープウェイ・リフトのりば 山麓駅『東雲口(しののめぐち)』
ロープウェイは 10 分間隔で運行していますが、リフトは随時運行なのですぐに乗れます。
ただし、ロープウェイなら約 3 分、リフトは約 6 分かけて上まで行くため、ロープウェイ発車までに 3 分以上ある場合はリフトの方が到着は早いということになります。
ロープウェイからの眺望も素敵です。
あっという間に、山頂駅『長者ヶ平(ちょうじゃがなる)』に到着です。
山頂駅の改札口前にはコインロッカーがあります。松山城までは 10 分程度歩きますので、荷物が多い人は預けてから行くのがおすすめです。
山頂駅前には六実庵(むつみあん)という売店と食堂が入っているお店がありますので立ち寄ってみましょう。
六実庵では、ぜんざい、抹茶、わらびもち、みたらし団子など、和スイーツを楽しむこともできます。松山城はそれなりに歩きますので、観光前か後でエネルギーをチャージするのも良いですね。
店内は土産販売と食堂があります。
それでは、松山城へ向かっていきます。
山頂駅から、松山城天守がある本丸広場までの道のりは、通常 10 分程度ですが、見どころが多いため、15 分は見ておくとスケジュール的には安心です。
本丸広場までは以下のルートで歩いていきます。
では出発しましょう。
歩き始めてすぐに、松山城の見どころ一つである登り石垣が現れます。なんとその高さ 17m!圧巻の大きさです。
この「登り石垣」は全国最大級の規模を誇ります。
本丸を囲むこの石垣は、美しい扇形の曲線と防御のための折れ曲がりが特徴的で、主に花崗岩で造られています。築城当初の 1602 年頃から江戸時代後期まで、時代によって石の積み方が異なり、古い部分は自然石を使った粗い積み方、新しい部分は整形した石を隙間なく積んだ美しい仕上がりになっています。城内を歩きながら、様々な時代の石積み技術を見比べることができる貴重な文化財です。
登り石垣の脇はちょっとした広場になっており、大手門跡や待合番所跡があります。
大手門は、松山城築城時(1596-1615年)に建てられた重要な門で、山麓の二之丸・三之丸への入口でした。古い記録では「尾谷二ノ門」「待合御門」などと呼ばれていましたが、明治時代に取り壊されました。
待合番所は、2つの登城道が合流する地点に警備のために設けられた施設で、常時3人が詰めていました。この場所は東西を門で仕切られた防御の要点で、兵力運用の重要拠点でもありました。かつては石垣上に土塀があり、石落や鉄砲狭間、矢狭間などの防御設備が多数備えられていたことが古文書に記録されています。
大手門跡・待合番所跡石垣に沿って順路ができていますので、進んでいきましょう。
次に見られるのは、松山城の防御戦略の一つ、戸無門・筒井門・隠門です。
戸無門は本丸への登城道にある高麗門で、名前の通り創建当初から扉がなかったと考えられています。1624-1648年頃に建てられ、1800年に建て替えられた記録が残っています。1935年に国宝に指定され、現在は重要文化財となっています。
この門を過ぎると、城で最も堅固な防衛線である筒井門と隠門に達します。
戸無門から侵入してきた敵が筒井門に進み、隠門から兵士が出てきて後ろから挟み撃ちにする。そういった構造がとれるようになっています。
この辺りからの眺望も良いです。
筒井門を抜けて先へ進みます。筒井門はとても立派な造りになっています。
筒井門の上にあるのは西続櫓と東続櫓です。筒井門西続櫓と東続櫓は、筒井門の両側にある平櫓で、隠門とともに大手の防衛を担っています。築城時は西続櫓のみで、東続櫓は後から建てられたと考えられています。1935年に国宝指定されましたが、1949年に焼失したため、1971年に復元されました。
こちらは隠門です。戸無門から入ってきて筒井門を破ろうとする敵を、この隠門から出てきて背後から回り込み攻撃できるように作られた門です。
隠門の上には、隠門続櫓があります。隠門続櫓は、隠門に接続する平櫓で、長者が平からの登城道を監視するために石垣上に建てられています。石垣の形に合わせた変則的な平面形が特徴で、築城時(1596-1615年)に建てられた創建当時の技法が残る貴重な建造物です。1935年に国宝指定され、現在は重要文化財となっています。
筒井門を抜けると少し開けた広場になっています。
目の前の太鼓門を抜ければ、いよいよ本丸広場です。
太鼓門(たいこもん)は本丸大手の正門で、巽櫓や太鼓櫓とともに第 2 の防衛線を構成する重要な櫓門です。築城時に建てられましたが、1945 年の戦災で焼失し、1972 年に復元されました。門の両側の石垣には今も戦災の痕跡が残っています。
この門を抜ければ、本丸広場です。
本丸広場には天守があり、他にも櫓や塀などの防御システムにも触れられます。お土産や食事のできる売店もここ本丸広場にあります。
そして本丸広場の楽しみポイントは、この眺望です。眼下には松山市街地が一望でき、遠くには美しい山々の連なりが見渡せます。周囲を取り囲む見事な石垣は、江戸時代の高度な築城技術を物語る貴重な文化遺産。その石垣に守られた広場では、当時の城主たちが見上げたであろう同じ空の下で、ゆったりとした時間を過ごすことができます。
太鼓櫓(たいこやぐら)は、本丸広場にある L 字型の二重櫓です。築城当時から存在していましたが、戦争で焼失したため、1973 年に復元されました。現在見られる建物は、すべて栂(つが)の木材を使って忠実に再現されたものです。この櫓は他の建物と連携して城の重要な防衛ラインを形成しており、当時の巧妙な城郭建築技術を間近で見ることができる貴重な史跡です。
太鼓門西塀は、長さ約 24m の城壁で、敵の攻撃に備えて 2 箇所の石落としと 21 箇所の狭間(弓矢や鉄砲を撃つための小窓)が設けられています。戦争で焼失しましたが、1990 年に木造で復元されました。松山城では正方形の狭間が鉄砲用、長方形が弓矢用と使い分けられており、当時の戦闘技術の工夫を見ることができます。この塀は松山城の長期復元計画の一環として再建された貴重な歴史建造物で、江戸時代の城郭防衛システムを体感できる見どころの一つです。
この井戸は、築城時に谷を埋め立てる際に作られた深さ 44.2m の本格的な井戸で、戦前まで実際に飲み水として使われていました。現在の上屋(建物)は戦災で焼失後、1952 年に松山城で最初に復元された記念すべき建造物です。
また、この井戸には「底がない」「天守への抜け穴がある」「大判小判が沈んでいる」など数々の興味深い伝説が語り継がれています。しかし調査の結果これらはすべて作り話だったことが判明しています。それでも城内の重要な水源として機能していた歴史ある井戸で、当時の城の生活を想像できる貴重なスポットです。
馬具櫓(ばぐやぐら)は、本丸広場の西側に位置し、太鼓櫓と連携して二之丸方面の監視・防衛を行っていた重要な二重櫓です。戦災で焼失後、1958 年に松山城で唯一の鉄筋コンクリート造として再建され、現在は城の管理事務所として機能しています。
再建工事では石垣への負担を避けるため特殊な基礎工法が採用されましたが、その際に地下深くから現在とは異なる古い石積みが発見されました。これは松山城の未知の歴史を物語る可能性があり、考古学的にも興味深い発見となっています。現代的な再建方法と歴史的発見が同時に体験できる、ユニークな見どころです。
受付で観覧チケットを購入し、松山城の天守を見学しましょう。
松山城の写真を撮るならこの入口がおすすめ。松山城は連立式天守のため、天守に幾重にも重なり迫力のある一枚が撮れます。
松山城の防御は鉄壁なので、そう簡単に天守までたどり着けさせてもらえません。いわゆる「七曲り」です。 くねくねと進んでいく必要があります。
一ノ門をくぐり、
二ノ門をくぐり、
三ノ門をくぐり、
筋鉄門(すじがねもん)をくぐり、
ようやく天守のある広場まで辿り着きました。これは攻め入るのも容易ではないですね。さすが歴戦の猛者、加藤嘉明が築城しただけあります。
それもそのはず、天守広場にたどり着くまで通ってきた門と通路は、上から見ると以下写真の構造になっています。こんなところに、重たい甲冑を身に纏った侍が刀や槍を以て押し寄せても、体力を奪う上、渋滞になること必至です。松山城の防御戦略は、こういったところでも垣間見ることができます。
ではここから天守に入っていきます。
天守の中は、他の城と比べると全体的にコンパクトな造り。(重三階地下一階)
現存天守ならではの防御設計で、階段は驚くほど急角度。上り下りには注意が必要です。こういったところも、当時のお城を体験できるポイントです。
内部では展示が行われており、歴史的な資料を、時代を追いながら見ることができます。その他にも、槍や刀、甲冑などの展示もあります。
武具に限らず、資料や解説も豊富です。松山城の歴史を知りながら天守を巡ることができます。
また、連立式天守、各櫓の連結部分には階段がありましたが、手すりが設置されており上り下りのしやすさに配慮されています。
大天守の手前にあるのが小天守です。
小天守からは天守広場が見渡せるようになっていました。ここから敵の侵攻状況を確認できるようになっています。
また、小天守には、松山城の上棟式に使用された弓矢が展示されています。
上棟式は建物の最も重要な部材である棟木を設置する際に行われる神聖な儀式で、工事の安全と建物の長久を祈願します。この弓矢は式典で使われる神具の一つで、災いを払い除ける力があるとされていました。
現在も残るこの弓矢は、数百年前の松山城建設当時の職人たちの祈りと技術が込められた貴重な文化財で、城の歴史と日本の伝統的な建築儀礼を物語る興味深い展示品です。
そして小天守からは、大天守を間近で見ることもできます。ここもおすすめの写真撮影ポイントです。
大天守の最上階まで上がってきました。
松山城の天守は三重三階地下一階(層塔型天守)なので、天守自体は3階建てみたいなものですが、本丸からの高さが約 20m(鯱を含めると21.3m)で、標高約 161m の位置にそびえ立っています。これは現存する 12 の天守を持つ平山城の中では最も高い場所に建つ城郭として知られています。
この高さから見下ろす松山市街や瀬戸内海の絶景は圧巻で、戦国時代の武将たちが戦略的にこの地を選んだ理由がよくわかります。日本最高地点の現存天守からの眺めは、松山城を訪れる最大の魅力の一つです。
松山城を楽しんだら、本丸広場にある城山荘売店で休憩しましょう。
ここにはお土産売り場と食堂が入っていて、愛媛スイーツも楽しめます。
おすすめは、このお店の名物「伊予柑ソフト」です。さっぱりしつつ、伊予柑のほどよい香りが優しい一品です。
松山城は関ヶ原の戦い(1600年)直後の平和な時代に築城が始まりました。戦国武将の城として誕生した松山城。約四半世紀かけてようやく完成をみる頃には、徳川政権による太平の世となっていました。つまり、完成時にはすでに戦乱の時代は終わっていました。
故に、松山城は防御を突き詰めて設計されたお城で有名ですが、一度も攻め込まれたことはありません。
しかし仮に、戦国時代にこの城が完成していたとしたら、難攻不落であったことは間違いないと実際に訪問して感じます。
松山城を築城した加藤嘉明は、賤ヶ岳の戦い(1583年)、小田原征伐(1590年)、朝鮮出兵(文禄・慶長の役 1592–1598年)、関ヶ原の戦い(1600年)で功績を挙げた戦国武将。豊臣秀吉や徳川家康から高い評価を得ています。
そんな戦国武将が築城した松山城。400 年以上が経過した現代でもその姿は残り、彼の防御戦略を私たちも実際に体験することができます。これほどまでに貴重な体験ができるところは、それほど多くはありません。
天守についてもっと知りたい場合は、以下の記事で詳しく紹介していますのでご覧ください。
松山城の連立式天守について詳しく見る
また、松山城本丸以外にも、松山城には見どころがあります。それはこちらで紹介しています。
松山城観光の見どころについて詳しく見る
この世に 12 城しか存在しない天守。その中でもさらに、姫路城と松山城でしか見ることのできない連立式天守。
この特別な時間を、是非あなた自身で体感しに来てみてください。