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世界が暗闇に包まれたとき、神々はどうやって光を取り戻したのか。
「天岩戸開き(あまのいわとびらき)」は、日本最古の歴史書『古事記』と『日本書紀』に記された日本神話の中でも最も有名なエピソードのひとつです。
宮崎県高千穂には、この神話の舞台となった場所が今も残されています。旅行前に物語を知っておくと、観光がより深く楽しめるでしょう。
この記事では、天岩戸開きのあらすじ、登場する神々の役割、そしてゆかりの地を紹介します。

天岩戸開きは、太陽神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸に隠れ、世界が暗闇に包まれた後、神々の知恵と工夫によって再び光を取り戻す神話です。
あらすじを簡潔にまとめると、以下のようになります。
天岩戸開きが記されている『古事記』は712年に成立した日本最古の歴史書です。『日本書紀』は720年に成立した日本最古の正史で、両書とも神話の時代から歴史を記録しています。
天照大御神は太陽を司る神であり、皇室の祖神として日本において最も重要な神のひとりです。
天照大御神と須佐之男命は姉弟の関係にあります。須佐之男命は暴風雨を司る荒ぶる神として知られ、高天原(たかまがはら:神々が住む天上界)で次々と乱暴を働きました。
古事記には、須佐之男命が以下の悪行を行ったと記されています。
天照大御神は当初、弟をかばっていました。「糞は酔って吐いたものだろう」「溝を埋めたのは土地が惜しいと思ったからだろう」と、弟の行動を善意に解釈しようとしたのです。
しかし、最後の悪行は取り返しのつかないものでした。機屋に馬が落とされた際、驚いた機織女が持っていた梭(ひ:織機の道具)で身体を傷つけて亡くなってしまったのです。
これに怒った天照大御神は、天岩戸という洞窟に入り、岩の扉を閉じて隠れてしまいました。
太陽神が隠れたことで、高天原も地上の世界(葦原中国)もすべて暗闇に包まれました。昼が来ない、夜だけの世界になってしまったのです。
世界が暗闇に覆われ、困り果てた八百万(やおよろず)の神々は、天安河原に集まって対策を話し合いました。

天安河原は、天岩戸神社から歩いて約10分の場所にある洞窟で、神々が会議を開いた場所として今も信仰を集めています。
この危機を救う策を考えたのが、知恵の神・思金神(おもいかねのかみ)です。思金神は「多くの思慮を兼ね備えた神」という意味の名を持ち、深い知恵で困難を解決する神として信仰されています。
思金神が立てた作戦は、単に天照大御神に謝罪するのではなく、岩戸の外で盛大に祭りを開き、天照大御神の好奇心を刺激するというものでした。
思金神の指揮のもと、神々はそれぞれの役割を担いました。
| 神 | 読み | 役割 |
|---|---|---|
| 思金神 | オモイカネ | 知恵の神。岩戸開きの全体計画を立案 |
| 伊斯許理度売命 | イシコリドメ | 八咫鏡を作成 |
| 玉祖命 | タマノオヤ | 八坂瓊勾玉を作成 |
| 天児屋命 | アメノコヤネ | 祝詞を唱える |
| 太玉命 | フトダマ | 八咫鏡と勾玉を榊にかけて捧げ持つ |
| 天鈿女命 | アメノウズメ | 神がかりの踊りを披露 |
| 天手力雄命 | アメノタヂカラオ | 岩戸の脇で待機し、岩戸をこじ開ける |
神々はまた、常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり:鶏)を集めて鳴かせました。鶏は夜明けとともに鳴く習性があることから、太陽を呼ぶ力があると考えられていたのです。
準備が整い、いよいよ天照大御神を岩戸から出すための儀式が始まりました。
芸能の神である天鈿女命(あめのうずめのみこと)が、岩戸の前で神がかりの踊りを披露しました。
天鈿女命は天香山の榊を鬘(かづら)としてまとい、蘿(ひかげ:植物の一種)を襷にし、桶を伏せて踏み鳴らしながら踊りました。その踊りは激しく、着物を脱いで半裸になるほどでした。
この踊りを見た八百万の神々は、高天原に響き渡るほどの大爆笑をしました。
岩戸の中にいた天照大御神は、外の騒ぎが気になりました。
「私が隠れているから世界は暗いはずなのに、なぜ天鈿女命は踊り、神々は笑っているのだろうか」
天照大御神が問いかけると、天鈿女命は答えました。
「あなた様より貴い神がいらっしゃるので、皆で喜んでいるのです」
好奇心を抑えられなくなった天照大御神は、岩戸を少しだけ開けて外を覗きました。
そのとき、太玉命が榊にかけていた八咫鏡が天照大御神の顔を映しました。天照大御神は、鏡に映った美しい姿を自分だとは知らず、「貴い神」だと思い、もっとよく見ようと岩戸から身を乗り出しました。
その瞬間、岩戸の脇で待機していた天手力雄命が天照大御神の手を引き、力ずくで岩戸を開きました。そして岩戸を遠くへ投げ飛ばしたのです。

太玉命はすぐに注連縄(しめなわ)を張り、「もうこれより内にはお戻りになれません」と告げました。
こうして天照大御神が岩戸から出たことで、世界には再び光が戻りました。
天岩戸開きの神話は、現代の日本文化にも深く根づいています。
太玉命が天照大御神を岩戸に戻さないために張った縄が、注連縄の起源とされています。神社の入り口や神聖な場所に張られる注連縄は、この神話に由来しています。
天鈿女命が披露した踊りは、神に奉げる舞である神楽(かぐら)の始まりとされています。現在も全国の神社で奉納される神楽は、この神話の踊りをルーツとしています。
神々が長鳴鳥(鶏)を鳴かせて太陽を呼んだことから、神社で鶏を放し飼いにする習慣が生まれました。鶏は神の使いとして大切にされています。
天岩戸開きは、困難を知恵と協力で乗り越え、新しい時代を切り開く物語として解釈されています。暗闇から光を取り戻したこの神話は、困難からの再生と希望の象徴として、現代でも語り継がれています。
天岩戸開きの舞台となった場所は、宮崎県高千穂町に今も残されています。

天岩戸神社は、天照大御神が隠れた天岩戸を御神体として祀る神社です。西本宮と東本宮の2つの社殿があり、西本宮では神職の案内で天岩戸を遥拝することができます。
毎年秋には「秋季大祭」が行われ、神話の世界を体感できます。
天岩戸神社から徒歩約10分の場所にある天安河原は、八百万の神々が対策を話し合った場所とされています。洞窟の中には無数の積み石があり、神秘的な雰囲気が漂います。

天岩戸神社の境内には、岩戸をこじ開けた天手力雄命の像があります。力強いその姿は、神話の一場面を今に伝えています。
天岩戸開きは、知恵と協力で困難を乗り越え、世界に光を取り戻した神話です。
宮崎県高千穂には、天岩戸神社や天安河原など、この物語の舞台となった場所が今も残り、神話の世界を体感できます。
高千穂を訪れる際は、ぜひ天岩戸開きの物語を思い出しながら歩いてみてください。神話の登場人物たちの姿が、きっと目に浮かぶことでしょう。
