昭和に甦った小田原のシンボル!小田原城 天守閣の見どころを徹底紹介
小田原城天守閣は、1960年(昭和35年)に市民の寄附運動に支えられて復興された、小田原のシンボルです。外観は江戸時代の姿を忠実に再現し、内部は5階建ての歴史博物館として整備されています。
北条五代の物語をひも解くシアター、武将の装いを間近に見る企画展、そして標高約60メートルの展望デッキから望む相模湾の大パノラマ。小田原の400年を凝縮した天守閣は、城好きでなくても見どころに満ちています。
この記事では、小田原城天守閣の各階の展示から、復興の歴史、入場のコツまで、天守閣を余すところなく紹介していきます。
小田原城 天守閣

小田原城天守閣は、神奈川県小田原市にある小田原城址公園の中心に建つ復興天守です。戦国時代に北条五代の居城として関東に君臨した小田原城のシンボルで、1960年(昭和35年)に市制20周年記念事業として復元されました。内部は5階建ての歴史博物館として整備され、小田原400年の物語を伝える展示や摩利支天の安置空間、そして最上階の展望デッキまで、多彩な見どころを擁しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 小田原城 天守閣 |
| 文化財指定 | 国の史跡 / 日本100名城(No.23) |
| 営業時間 | 9:00 〜 17:00(入館は16:30まで) |
| 休館日 | 12月第2水曜日 / 12月31日 〜 1月1日 |
| 入館料 | 大人(高校生以上) ¥1,000 / 小中学生 ¥300 |
| 電話番号 | 0465-22-3818 |
| アクセス | JR・小田急小田原駅から徒歩約10分 |
| 所在地 | 〒250-0014 神奈川県小田原市城内6-1 |
| 無料Wi-Fi | 有り |
| 公式サイト | https://odawaracastle.com/ |
5階層で紡ぐ小田原の物語。天守閣内部の見どころ

天守閣の内部は、1階から5階まで各階にテーマを持たせた展示で構成されています。1階のシアターから始まり、北条五代の物語、武家の美術工芸、企画展示を経て、最上階の展望デッキへと進みます。
館内にエレベーターはなく、各階は階段で移動します。
また、階ごとに撮影ルールが定められています。2階は全面撮影禁止、4階は一部撮影禁止のエリアがあり、それ以外の階は撮影が可能です。
1階「江戸時代の小田原城」:小田原城の全貌と2本立てシアター

1階のテーマは「江戸時代の小田原城」。関東西部の守りの要として機能した江戸期の小田原城を、模型・絵図・映像で立体的に紹介するフロアです。

「小田原城天守の変遷」「小田原城の城主たち」「城絵図にみる小田原城の変遷」など、江戸時代の小田原城の移り変わりを沢山の資料から見ることができます。


1/700で甦る、最盛期の小田原城
1階の見どころのひとつが、最盛期の小田原城を 1/700 のスケールで再現した精巧な模型です。

この模型は、1624〜1644年(寛永年間)に描かれた城絵図「寛永年間小田原城廓総図(宮内庁図)」を基に再現されたもの。城郭の中枢を占めていた本丸や二の丸から、連なる櫓、馬屋までが忠実に縮小され、江戸初期の小田原城のスケール感が一望できます。
最盛期の小田原城 1/700模型
この姿は、1703年(元禄16年)の元禄地震によって倒壊・焼失し、歴史の中から消えました。失われた光景を目の前で辿れる貴重な立体資料として、1階ならではの見どころとなっています。
小田原城に残る、徳川将軍家の葵紋
絵図の展示の先には、徳川家の家紋「三つ葉葵」が刻まれた鬼瓦・丸瓦の展示が続きます。

かつて小田原城には、徳川幕府・将軍家専用の施設が設けられていました。その屋根を飾っていた瓦が、この三つ葉葵紋瓦です。本丸と御用米曲輪(ごようまいくるわ)という2つの曲輪で発見されたものが、屋根から外された後の姿で今に残っています。

小田原城シアターで北条五代と復興の物語を追体験
1階の奥には、小田原城シアターが用意されています。上映されるのは次の2つの映像プログラムです。
- 「よみがえる小田原城」:30年の史跡整備で甦った小田原城を、大手筋に沿って天守まで登城する映像
- 「北条五代百年の夢」:北条五代が掲げた理想「禄寿応穏(財産と生命が穏やかに)」に込めた想いを、氏政・氏直父子が語る物語
それぞれ上映時間は約7分です。交互にループで上映されています。


「よみがえる小田原城」は、小田原城の全体像がよくわかり、「北条五代百年の夢」は少し切ないドラマです。
どちらの映像も見応えがあるので、是非観ていくことをおすすめします。
2階「戦国時代の小田原城」:北条五代・100年の関東支配

2階のテーマは「戦国時代の小田原城」。北条早雲から氏直に至る五代約100年にわたり、関東に覇を唱えた小田原北条氏の物語を展開するフロアです。
上杉謙信(1561年/永禄4年)、武田信玄(1569年/永禄12年)という戦国の巨人たちの猛攻を退け、「難攻不落」の名声を揺るぎないものにした北条氏。しかしその末路は、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で幕を下ろしました。
約100年の領国支配と、天下統一の流れに最後まで抗った戦国大名の物語が、年表・パネル・資料で丁寧に辿られています。
戦国時代の小田原城の姿、北条氏の統治の仕組み、豊臣秀吉による小田原征伐の顛末まで。小田原城の物語の中でも最もドラマに富んだ章を、じっくり腰を据えて辿れるフロアです。
なお、2階は展示物保護のため、全面撮影禁止です。

3階「小田原ゆかりの美術工芸」:武家文化と発掘の記憶
3階のテーマは「小田原ゆかりの美術工芸」。武家文化の粋を伝える甲冑・刀剣から、小田原城下の発掘調査で出土した品々まで、地域に根差した文化財が丁寧に展示されています。

武士の装いと刀剣の系譜
甲冑の展示には、三日月形の金色の前立てを戴いた兜をはじめ、武将たちの意匠の凝った装備が並びます。

刀剣の展示も見どころのひとつです。

小田原は、戦国から江戸にかけて刀鍛冶が活躍した地でもあります。戦国時代初頭、小田原北条氏に招かれて島田鍛冶が小田原に居を構え、古くから鎌倉にあった鎌倉鍛冶とともに、北条氏の領国で作刀を担いました。この2つの系譜から生まれた刀は、後世に「末相州(すえそうしゅう)」「小田原相州(おだわらそうしゅう)」と呼ばれています。江戸時代に入ると、加賀の刀工・兼若の四男である清平が藩主稲葉氏に召し抱えられ、八幡山で新たに作刀を始めました。
小田原で受け継がれた刀剣の展示
戦国から江戸まで、小田原で受け継がれた刀工の歴史を、実物の刀身とともに辿れる貴重な空間です。
発掘品が語る、小田原城下の暮らし
3階のもうひとつの見どころが、小田原城とその城下で発掘された品々の展示です。

陶磁器、舶来品、漆器、茶道具など、地下から掘り起こされた品々には、戦国から近世にかけての小田原の暮らしが色濃く映し出されています。

とりわけ興味深いのが、かわらけ(儀式や宴会に大量に使われた素焼きの皿)の展示です。使い捨ての器だからこそ、大量に出土し、小田原北条氏の「宴の文化」を読み解く手がかりとなっています。

さらに、陶磁器の名品として鍋島焼や、小田原城下で出土した珍しい磁器の破片なども展示されており、地域と海を越えた交流の跡をうかがい知ることができます。

4階 企画展示:時期ごとに入れ替わる企画展

4階は、定期的に展示内容が入れ替わる企画展示フロアです。展示テーマが時期ごとに更新されるため、訪問のタイミングによって異なる展示と出会えるフロアです。

取材時の企画展は「武者の装い〜鎧と兜を中心に」。武将を彩った鎧・兜・馬具といった装備を軸に、武家の装いを多角的に掘り下げる内容でした。
鎧の展示には、黒鎧から金装飾の華やかな甲冑まで、時代や地位によって異なる多彩な武者の姿が並びます。
時代や地位で装いが異なる鎧の数々
(鎧は撮影禁止のものが多いため、撮影にはご注意ください)

続く兜の展示では、武将の個性が色濃く現れる変わり兜の数々を見学できます。大きな金色のトンボを前立てにあしらった兜は、前にしか進まない虫=「勝ち虫」の意匠として武家に好まれたもの。鉄鉢形の素朴な兜から、精緻な細工の装飾兜まで、造形美のバリエーションが揃っています。

さらに、平安から鎌倉時代にかけて用いられた顔面防御具「半首(はつぶり)」の復元品、鞍や面繋(おもがい)などを部位の名称図とともに並べた馬具の展示、そして武士装束まで、武家の装いを多角的に知れる構成です。
鉄鉢形の兜と半首の復元品
また、江戸時代の「大久保家武具図鑑」も見どころのひとつ。小田原城主であった大久保家の旗、馬印、船印などが金粉を用いて華やかに図解された巻物の断片です。

| 企画展示 | 開催日程 |
|---|---|
| 武者の装い〜鎧と兜を中心に | 2026年3月1日 〜 5月31日 |
5階 摩利支天が見守る江戸の天守最上階と、標高60mの大展望
5階は、小田原城天守閣のクライマックスです。外側に広がる展望デッキと、内側に再現された江戸期の天守最上階。展示と眺望の両方が味わえる特別な空間です。
一方通行の回廊で巡る、標高60mの大パノラマ
天守閣の外側を囲む回廊は、展望デッキとして整備されています。標高約60メートルの高さから、小田原の街並みと山海の大自然を一望できる絶景の舞台です。
回廊は一方通行。ぐるりと一周しながら、方角ごとに変わる景色を楽しめる造りになっています。各方向には方位パネルと景色の案内板が設置されており、目に映る山や町、半島の名前を確認しながら眺めを巡れます。
天守閣最上階から望む大パノラマ
東側には小田原城下の緑と、その先に広がる相模湾。南側には相模湾を挟んで、晴天時には伊豆大島、三浦半島、伊豆半島まで見渡せる雄大なパノラマが広がります。
西側には箱根連山の山並み。北側には小田原駅や小田原市街地、その先に丹沢山塊が望めます。
この絶景は、戦国から江戸にかけての時代には、限られた者しか眺めることのできない特別な景色でした。現在は誰もが訪れて体感できる、小田原観光のハイライトのひとつです。
江戸時代の天守最上階を再現した摩利支天安置空間
展望デッキから天守閣の内側に戻ると、そこに広がるのは江戸時代の天守最上階を再現した木造の空間です。

使われている木材は、旧小田原藩有林を中心とした「小田原の木」。小田原に根差した木材で、かつての天守最上階を現代に甦らせています。

中央に祀られているのが摩利支天像。3つの顔と6本の腕(三面六臂)を持ち、猪(いのしし)を乗物とする姿がこの仏像の特徴です。武士の守護神として古くから信仰されてきた仏で、江戸期の小田原城天守最上階には、摩利支天を中心に天守七尊と呼ばれる7体の仏像が祀られていました。

かつて摩利支天像を納めていた天守型厨子も、あわせて展示されています。高さ161.0cm、幅72.5cmの厨子は、小田原城天守をそのままミニチュア化した造り。下層部には観音開きの扉が設けられ、開くと内側に金箔が輝きます。

1870年(明治3年)の廃城後、摩利支天像と厨子は永久寺(小田原市城山)に移されていましたが、1960年(昭和35年)の天守閣復興の際、再び天守の最上階へと戻されました。
御城印の購入場所
小田原城の御城印は、天守閣1階の入場受付を通過した先にあるインフォメーション窓口で販売されています。現在頒布されているのは通常版2種です。入場時と出るときに同じインフォメーション窓口を通るため、購入タイミングは選べます。


行列回避!webチケット活用のすすめ

小田原城天守閣は、当日券を天守閣入口の受付で購入して入館します。しかし、繁忙期や週末、桜の季節などには、チケット購入の列ができることもあります。
そこでおすすめしたいのが、事前のwebチケット購入です。webチケットを事前に購入しておけば、受付の列に並ばず、スマホの画面を見せるだけでそのまま入館できます。

旅行のスケジュールが決まっている場合は、事前購入で時間を節約しましょう。
小田原城天守閣を甦らせた、瓦一枚運動
現在の天守閣は、1960年(昭和35年)の市制20周年を記念して復興された3代目の天守です。明治の廃城令と関東大震災で姿を失った小田原城を、市民の手で甦らせたのが瓦一枚運動でした。
1959年(昭和34年)12月から市内各所に受付窓口が設置され、瓦1枚分の寄附と引き換えに、瓦の裏面へ自分の名前を刻んで天守閣の屋根に供える、という運動です。市民や企業から集まった瓦は約21,366枚。
そして今も、天守閣の屋根瓦の約3分の1には、当時寄附した市民の名前が刻まれています。現在の天守閣は、1960年の市民の想いをそのまま屋根に乗せた状態で立ち続けています。

復興天守が語り継ぐ、小田原400年の記憶

小田原のシンボル、小田原城天守閣。江戸時代の姿を忠実に映す外観の内側には、5階建てのミュージアムが広がっています。
1階のシアターと最盛期の模型、2階の北条五代、3階の美術工芸と発掘品、4階の企画展示、そして5階の摩利支天空間と大展望。階を一段上がるごとに、小田原の時代が重ねて語られていきます。
外観を江戸時代に返し、中身を現代のミュージアムとして甦らせた復興天守。ひとつの建物のなかで、これだけ幅広い時代と見どころを重ねて辿れることこそ、小田原城天守閣ならではの魅力です。
小田原城の天守閣へ、ぜひ足を運んでみてください。
