小田原城 見どころガイド|侍にも忍者にもなれる!難攻不落の体験型名城

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小田原城 見どころガイド|侍にも忍者にもなれる!難攻不落の体験型名城

天下統一、最後の舞台。小田原城の見どころ紹介

戦国時代に終止符を打った小田原征伐。その舞台となったのが、小田原城です。

現在の城内にはミュージアムが整備され、侍・忍者にまつわる体験施設も充実。登城ルートに並ぶ城門群にも見応えがあります。

この記事では、小田原城の見どころを紹介します。

小田原城

桜越しに見上げる白壁の小田原城天守閣

小田原城は、神奈川県小田原市にある戦国時代の名城です。北条氏五代の本拠地として約100年にわたり関東に君臨し、上杉謙信・武田信玄・豊臣秀吉の猛攻にも耐えた「難攻不落の城」として知られています。

現在は小田原城址公園として整備されており、天守閣ミュージアムやNINJA館、SAMURAI館など、歴史と体験を兼ね備えた観光スポットとして人気を集めています。

小田原城 基本情報
項目内容
文化財指定国の史跡 / 日本100名城(No.23)
御城印天守閣入場券販売所にて販売(通常版2種)
天守閣 営業時間9:00 〜 17:00(入館は16:30まで)
天守閣 入館料大人 ¥1,000 / 小中学生 ¥300
SAMURAI館 営業時間9:00 〜 17:00(入館は16:45まで)
SAMURAI館 入館料天守閣入館券で入館可(単独券: 大人 ¥300 / 小中学生 ¥100)
NINJA館 営業時間9:00 〜 17:00(入館は16:30まで)
NINJA館 入館料大人 ¥500 / 小中学生 ¥200
定休日天守閣: 12月第2水曜日・12月31日 〜 1月1日 / NINJA館・SAMURAI館: 12月31日 〜 1月1日
Wi-Fi天守閣・常盤木門・NINJA館・本丸売店・二の丸観光案内所にて無料Wi-Fi利用可
最寄り駅JR小田原駅(徒歩約10分)
駐車場城址公園内に駐車場なし(周辺駐車場一覧
所在地〒250-0014 神奈川県小田原市城内
公式サイト小田原城 公式サイト
各施設パンフレットご利用案内-パンフレット | 小田原城 公式サイト

天守閣ミュージアム: 国内屈指のクオリティを誇る展示空間

開門中の案内看板越しに見上げる小田原城天守閣入口

小田原城の天守閣は、江戸時代の設計図をもとに1960年(昭和35年)に復興された3重4階の建造物です。高さは地上38.7メートル。外観は江戸時代の姿を再現しつつ、内部は本格的な歴史資料の展示施設として整備されています。

石垣沿いの階段から小田原城天守閣入口へ向かう道

天守閣は5階建てで、各フロアがテーマ別の展示になっています。1階は江戸時代の小田原城、2階は戦国時代と北条氏、3階は小田原ゆかりの美術工芸品、4階は企画展示、5階は摩利支天像の空間が再現されています。また、最上階である 5 階には展望デッキが設けられており、相模湾を一望できる絶景も楽しめます。

小田原城天守閣ミュージアムの展示案内パネル

小田原城天守閣について詳しく見る

SAMURAI館: 武具の美と迫力に触れる展示施設

甲冑写真が大きく載ったSAMURAI館の案内看板

常盤木門にあるSAMURAI館は、侍の武具に特化した展示施設です。天守閣の入館券があればそのままSAMURAI館にも入館できます。SAMURAI館のみの単独券(大人300円、小中学生100円)もあります。

甲冑や日本刀など、日常では目にすることのない貴重な武具が展示されています。

ガラスケースに並ぶSAMURAI館の甲冑展示

並べられたいくつもの鎧はいずれも重厚感があり、眺めているだけでも迫力があります。プロジェクションマッピング「花伐つ鎧」では、デジタル映像と音楽で武士の世界観が表現されています。

金色の三日月前立てを付けた甲冑の上半身

SAMURAI館では甲冑着付け体験も実施されています。常盤木門1階にて9時30分から16時まで体験可能で、貸出料は500円です。甲冑を身に着ければ、あなたも侍になれます。

SAMURAI館について詳しく見る

NINJA館: 風魔忍者の世界を体感できる体験型施設

風魔忍者の看板が立つ小田原城NINJA館の入口

NINJA館は、修行や実践を通じて、実際に忍者を体験できる施設です。館内にあるあらゆる仕掛けや忍術を体験し、体を動かしながら忍者の世界を体験できます。

NINJA館について詳しく見る

本丸広場: 侍との記念撮影や手裏剣体験

多くの来場者でにぎわう本丸広場と正面の天守閣

天守閣前には、本丸広場があります。ここでは、ベンチで休憩できたり、売店で飲み物や食べ物、お土産を購入できます。

本丸広場には侍が常駐しており、一緒に記念撮影ができます。

天守閣の石垣前で甲冑姿の侍たちが並ぶ本丸広場 色鮮やかな甲冑姿の侍と来場者の記念撮影風景

また、鉄砲隊による火縄銃の空砲演武も定期的に行われています。その轟音は迫力満点で、一見の価値があります。

本丸広場を歩く旗持ちの甲冑武者たち

露店では飲食が楽しめるほか、手裏剣を投げる体験もできます。天守閣を眺めながらの休憩にも最適です。

馬出門: 小田原城の正面玄関

石垣と白壁が伸びる馬出門の正面外観

馬出門(うまだしもん)は、小田原城の南東に位置する正面入口です。「めがね橋」を渡った先にあり、正規登城ルートの起点となる門です。

扉が開いた馬出門をくぐって城内を望む眺め

門を入った先には馬屋曲輪と呼ばれる広場が広がります。

馬屋曲輪に広がる砂利敷きの広場と松並木

銅門: 内部見学もできる二の丸の正門

銅門(あかがねもん)は、馬出門の先にある二の丸の正門です。渡櫓門に施された銅板の装飾がその名の由来で、内部には石落としなどの防御の仕掛けが残っています。

白壁と石垣に囲まれた銅門の正面外観 開いた扉越しに奥をのぞむ銅門の渡櫓門 内部特別公開の案内看板が立つ銅門の外観

土日祝日には銅門の内部に入ることができます。(10:00〜15:00)

内部では石落としの実物を間近に見られるほか、小田原評定(おだわらひょうじょう)の様子を再現した展示があります。

梁が並ぶ銅門内部の広い見学空間 銅門内部に残る石落としの仕組みを上から見た展示

小田原評定とは、小田原征伐で豊臣軍が攻めてきた際、抵抗方針をめぐって繰り返し行われた重臣会議のことです。北条氏政・氏直・氏照と重臣2名が議論する場面が再現されています。

銅門内部に再現された小田原評定の人形展示

意見が分かれ、結局結論が出ないまま北条氏は滅ぼされてしまいました。

小田原評定の人形を間近で見た展示風景

常盤木門: 小田原城本丸の正門

常盤木門(ときわぎもん)は、銅門の先にある本丸の正門です。渡櫓門は城内最大級の規模を誇り、多聞櫓は武器等の貯蔵庫として機能していました。

石段の先にそびえる常盤木門と本丸の白壁

「常盤木」とは常緑樹を指す言葉です。門のそばには古くから松が植えられており、一年を通じて緑を保つ松のように城が末永く栄えるようにとの願いを込めて、この名が付けられました。

石段を上った先にある常盤木門の近景

正規登城ルート: 馬出門から天守閣への道のり

小田原城の正規ルートは、馬出門 → 銅門 → 常盤木門 → 本丸広場 → 天守閣という順路です。

馬出門をくぐり馬屋曲輪の広場を進むと、二の丸の正門である銅門に到着します。銅門を抜けた先が二の丸エリアで、さらに進むと常盤木門が現れます。常盤木門を通過すると本丸広場に出て、そこに天守閣があります。

二の丸観光案内所: 無料ガイドの申し込みはここ

馬屋曲輪の広場にある二の丸観光案内所では、小田原城の歴史や見どころを案内するガイドの同行を申し込めます。

白い木造外壁が印象的な二の丸観光案内所の外観

当日来所すれば無料でガイドを申し込めます。(9:00〜16:30)

歴史を感じさせる外観の建物で、トイレも完備されています。

小田原城への行き方

小田原城の正面入口である馬出門は、JR小田原駅から徒歩約10分です。

年末年始を除く土日祝日であれば、小田原市の観光回遊バス「うめまる号」でも行けます。1日フリー乗車券(600円)を購入すれば、何度でも乗り降り自由です。車内ではガイドによる観光案内も楽しめます。

小田原駅からうめまる号に乗る場合、眼鏡橋バス停で下車します(所要時間: 約3分)。バス停は馬出門の目の前にあるため、正規登城ルートにそのまま合流できます。

小田原城から小田原駅へ

なお、小田原城観光を終えて小田原駅まで戻りたい場合は、バスに乗らなくても徒歩で移動できます。

天守閣から北入口に向かい、北入口を出たらすぐ小田原駅です。

馬出門から天守閣へ向かう正規登城ルートを示した小田原城内マップ

小田原城の歴史

桜に囲まれた青空の下の小田原城天守閣

小田原城の起源は、室町時代にまで遡ります。西相模に勢力を伸ばした大森氏が築いた城郭がその前身で、正確な築城年は判明していませんが、15世紀中頃と推定されています。

1500年頃、伊勢宗瑞(のちの北条早雲)が大森氏から小田原城を奪取しました。以後、北条氏は小田原を拠点に勢力を拡大し、五代約100年にわたって関東に君臨しました。

江戸時代に入ると、徳川家康の譜代家臣である大久保忠世が初代城主となり、小田原城は小田原藩の藩庁として機能しました。大久保氏は一時改易されましたが、のちに復帰し、幕末まで藩主を務めています。

明治3年(1870年)、廃城令により小田原城は廃城となり、多くの建物が解体されました。さらに1923年(大正12年)の関東大震災で残存していた石垣も崩壊。現在の天守閣は、1960年(昭和35年)に市制20周年事業として鉄筋コンクリートで復興されたものです。城址は国の史跡に指定されています。

小田原城 略年表
大森氏が小田原城を築城
北条早雲(伊勢宗瑞)が大森氏から奪取
三代・北条氏康が家督継承。領国支配を本格化
河越合戦で上杉氏を破り、関東の覇権を確立
四代・北条氏政が家督継承
上杉謙信の小田原攻めを退ける
武田信玄の小田原攻めを退ける
総延長約9kmの総構を築造
小田原征伐により北条氏滅亡。大久保忠世が城主に
廃城令により廃城
関東大震災で石垣が崩壊
鉄筋コンクリートで天守閣を復興

北条氏と小田原城の全盛期

三代当主・北条氏康は、1541年(天文10年)に家督を継承し、領国支配の体制を本格的に整えました。1546年(天文15年)の河越合戦では上杉氏を破り、関東における北条氏の覇権を確立しています。

氏康の跡を継いだ四代・北条氏政の時代には、永禄4年(1561年)に上杉謙信、永禄12年(1569年)に武田信玄がそれぞれ大軍で小田原城に攻め寄せましたが、いずれも退けています。

そして、豊臣秀吉との決戦に備え、氏政と五代・氏直は天正17年(1589年)から城下町全体を囲む総延長約9kmの総構(そうがまえ)を築きました。八幡山から海岸まで、小田原の町全体を土塁と空堀で囲んだこの巨大な防御線により、小田原城は日本最大級の城郭へと成長しました。

小田原城が難攻不落と言われる理由

小田原城が難攻不落と称されるのは、複数の要素が組み合わさっているためです。

総構(そうがまえ)

総延長約9kmに及ぶ総構は、城下町全体を土塁と空堀で囲んだ巨大な外郭です。この広大な防御線が敵軍の侵入を阻み、攻め手を削ぐ効果を発揮しました。

自然の地形の利

石垣山城から臨む小田原城と相模湾

小田原城は、相模湾に面した丘陵地帯に築かれています。東側は海に、西側は山に囲まれているため、天然の要塞としての役割を果たしていました。

城の堅牢さ

城郭内部には多くの櫓や門が配置され、敵の侵入を阻むための工夫が施されていました。さらに、豊富な食料と水が備蓄されており、長期の籠城戦にも耐えられる体制が整っていました。

強者を退けた実績

上杉謙信や武田信玄といった名だたる戦国武将が大軍で攻め寄せたものの、いずれも小田原城を落とすことはできませんでした。これらの実績が、小田原城に難攻不落の名声をもたらしました。

小田原征伐: 北条氏最後の戦い

小田原の街と海を背に建つ小田原城天守閣

小田原征伐は、小田原合戦、小田原攻め、小田原の役など様々な名称で呼ばれますが、小田原城の歴史において最大の出来事です。

当時、豊臣秀吉は天正16年(1588年)に惣無事令(そうぶじれい)を発し、大名同士の私戦を禁止していました。違反した場合は、秀吉の大軍による討伐と所領没収という厳しい処分が下されます。

北条氏は秀吉への臣従を表面上は示しつつも、独立した勢力として振る舞い続けていました。そして天正17年(1589年)10月、北条氏の家臣・猪俣範直が真田氏の領地である上野国名胡桃城を奪取。この行為が惣無事令違反にあたるとして、秀吉は北条氏討伐を決意しました。

天正18年(1590年)3月、秀吉は全国の諸大名を率いて出陣。4月には約18万の大軍で小田原城を包囲しました。北条氏は約5万の兵で籠城戦を展開しましたが、抵抗方針をめぐる重臣会議(小田原評定)では意見がまとまらず、約100日に及ぶ籠城の末、7月に降伏しました。

この小田原征伐により北条氏は滅亡し、秀吉による天下統一が完成しました。

戦国の終幕を刻んだ城で、歴史を見て、触れて、体感する

桜越しに見上げる白壁の小田原城天守閣

戦国時代に終止符を打った歴史の舞台。その城は現在、歴史の展示から侍・忍者の文化体験、城門巡りまで、城全体が見どころに満ちた観光スポットとして整備されています。

天守閣のミュージアムでじっくり歴史を追うもよし、正規登城ルートの城門群を巡りながら防御の工夫を読み解くもよし。土日祝であれば銅門の内部見学も可能で、より深く小田原城を知ることができます。

かつて天下の行方を左右した城で、歴史を自分の目で見て、手で触れて、体で感じる。

充実した体験が待つ小田原城へ、ぜひ足を運んでみてください。

満開の桜に囲まれた小田原城天守閣の春景色
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