- 天岩戸開きとは?高千穂旅行前に知りたい日本神話の名場面
- 天岩戸開きとは?太陽神・天照大御神が岩戸に隠れ、世界が暗闇に包まれた神話です。あらすじ、登場する神々の役割、高千穂のゆかりの地をわかりやすく解説します。
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日本列島には、北海道から九州まで全国に3,000近い温泉地が点在しています。神話に湯の伝説が記され、平安貴族が湯治に訪れ、江戸の庶民が湯治旅を楽しみ、現代も年間延べ1億人規模の宿泊客が温泉地を訪れています。これほど湯に親しんできた国は、世界でも稀です。
しかし、私たちは「温泉とは何か」を、案外知らないままに楽しんでいるかもしれません。何を以て温泉と呼ぶのか。なぜ日本人はこれほど湯に親しんできたのか。そして、なぜ温泉が人気なのか。
こうした、温泉についての理解を深めるために、日本の温泉文化について紐解いていきましょう。
温泉の仕組みから、千年以上も日本人を魅了し続けてきたその背景まで。次の温泉旅をより楽しむためのヒントになれば幸いです。

日本で「温泉」を名乗るには、ある法律の基準を満たす必要があります。温泉法(昭和23年・1948年制定)です。環境省が所管するこの法律は、温泉を次のように定義しています。
地中からゆう出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く)
そのうえで、以下の二つの基準のうちどちらか一方を満たせば温泉となります。
意外なのは、25℃未満の冷たい水でも、規定の成分さえ含まれていれば温泉として認められる点です。たとえば炭酸ガスを豊富に含む冷たい鉱泉が、温泉地で「天然炭酸泉」として親しまれているケースもあります。「温泉=熱い湯」というイメージが、必ずしもすべてではないわけですね。
さらに温泉のなかでも、特に治療目的に用いることができるものは「療養泉」と呼ばれ、温泉法とは別に、環境省の指針でより厳しい温度・成分が定められています。温泉地で見かける「単純温泉」「硫黄泉」「炭酸水素塩泉」といった泉質の名前は、この療養泉の分類に対応しています。色や匂い、肌触り、効能の違いを生み出しているのが、この成分の差です。
泉質ごとの特徴については、本シリーズの第2弾「温泉の泉質ガイド」で詳しく解説します。

日本人と温泉の関係は、文字に残る歴史よりも古い時代にさかのぼります。
最も古い温泉伝説の一つが、愛媛の道後温泉に伝わるものです。『伊予国風土記』に残る一節によれば、神話の時代、大国主命(おおくにぬしのみこと)が病に伏した少彦名命(すくなひこなのみこと)を温泉の湯に浸して癒したところ、たちまち回復し、石の上で踊ったといいます。少彦名命が踊った石は「玉の石」と呼ばれ、現在も道後温泉本館の北側に祀られています。
『日本書紀』には、舒明天皇・斉明天皇、後の天智天皇となる中大兄皇子らが「伊予の温湯」へ行幸(ぎょうこう, 天皇が外出すること)した記録が残ります。神話とは別に、現実の天皇たちが温泉を目指して旅をしていたわけです。
兵庫の有馬温泉も古い記録を持ち、『日本書紀』には631年(舒明天皇3年)の行幸記事があります。温泉街の中心にある湯泉神社は、大己貴命・少彦名命・熊野久須美命の三神を祀り、大己貴命・少彦名命の二神を温泉の発見者として伝えています。
各地に残る「白鷺伝説」「鶴の湯伝説」も興味深いところです。傷ついた白鷺や鶴、八咫烏(やたがらす)が湧き出る湯に浸かって癒え、それを見た村人が温泉を発見した、という構造の伝説が、下呂温泉・山代温泉・かみのやま温泉など全国に伝わります。動物が湯の力を教えてくれた、という物語が温泉地のアイデンティティとして語り継がれています。
中世(1185年〜)になると、武士や僧侶による湯治が盛んになります。鎌倉時代の1276年には、時宗の開祖・一遍上人が別府の鉄輪温泉に「むし湯」を開いたと伝えられます。
朝廷や幕府の要人は、温泉地まで出向く代わりに、湯を桶や樽で自邸へ運ばせる「汲湯(くみゆ)」という贅沢な利用法を取っていました。
温泉が庶民にまで広がったのは、江戸時代(1603年〜)に入ってからのことです。街道が整備され、各地への往来が容易になりました。
将軍家では、熱海や草津の湯を江戸城まで樽で運ばせる「御汲湯(おくみゆ)」が制度化されました。徳川家光・吉宗らがこの湯を愛用したと伝えられています。
庶民は領主に「湯治願い」を出して許可を取り、3週間ほどの長期滞在で湯治を行いました。3週間(七日を一廻りとし、三廻り)という期間は、中世以来の湯治の基本単位でした。
江戸後期(1781年〜)には『温泉番付』が刊行され、相撲の番付形式で全国の温泉地が東西に並べられました。各温泉の効能や、江戸から温泉地までの所要日数まで添えられたこの案内図は、温泉旅行ブームを加速させました。伊勢参りや金比羅参りの途中、宿場よりも温泉地を選ぶ「一夜湯治」もしばしば行われたといいます。
明治期(1868年〜)に入ると、鉄道網の整備が温泉地の様相を変えました。それまで脚力の強い者だけが訪れた山深い湯も、線路の延伸とともに大衆観光地へと姿を変えていきます。
第二次世界大戦後の高度成長期には団体旅行のブームが温泉地を支え、現在は個人旅行・インバウンド観光の主役の一つとして、千年以上前と変わらず人々を引き寄せています。
歴史ある名湯の数々については、本シリーズの第4弾「日本の名湯ガイド」で具体的に紹介します。

温泉と一口に言っても、入る場所は実に多様です。宿でゆっくり泊まる、日帰りで気軽に入る、地元の共同浴場をめぐる、足だけ湯に浸ける。場面や目的に合わせた選択肢が、日本には幅広く揃っています。

温泉旅館は、宿泊・食事・温泉が一体となった日本独特の宿泊形態です。畳の和室で布団に休み、館内では浴衣で過ごし、夕朝の会席料理を部屋食または食事処で楽しむ。一泊二食付きが基本で、館内の浴場には何度入っても料金は変わりません。
ホテルは洋室を中心にした近代的な宿泊施設で、レストランでの食事や大型大浴場、エンタテインメント施設を備える例が多く見られます。

宿泊を伴わずに入浴のみを目的とする施設です。共同浴場のような小規模なものから、休憩室・食事処・マッサージ室まで備えた大型施設まで、規模はさまざまです。
ホテルや旅館でも、宿泊ではなく日帰り入浴のみを楽しめるところもあります。

温泉街に住む地元の人々が管理する、公共の温泉浴場のこと。旅館の「内湯」に対して「外湯」とも呼ばれます。地元住民の生活インフラとして運営されているため、料金は旅館の日帰り入浴より割安なケースが多いです。
例えば兵庫の城崎温泉は、街全体を”一つの宿”に見立て、「七つの外湯をめぐる文化を持つ温泉地」として知られています。
長野の野沢温泉にも13の外湯があり、いずれも地元の「湯仲間」と呼ばれる住民組織によって守られています。
このように、歴史ある温泉地に外湯は多くみられます。

足湯は、服を着たまま、ふくらはぎから下を湯に浸す簡易的な入浴施設です。温泉地には駅前、観光スポット、宿泊施設など、あちこちに足湯が設置されているところも多く、それらは無料で開放されています。

日本の公衆入浴施設には、温泉のほかに「銭湯」と呼ばれる、地域に根ざした湯処があります。家庭の風呂が普及する前から日本人の暮らしを支え、現代でも街なかに残る、もう一つの湯文化です。
銭湯は、その規模や役割によって二つに分けられます。
| 区分 | 公衆浴場法上の分類 | 根拠法 | 管轄 | 主な水源 | 料金規制 |
|---|---|---|---|---|---|
| 温泉 | - | 温泉法 | 環境省 | 天然湧出 | なし |
| 銭湯 | 一般公衆浴場 | 公衆浴場法 | 厚生労働省 | 水道水加熱 | あり(都道府県知事が統制額を指定) |
| スーパー銭湯 | その他の公衆浴場 | 公衆浴場法 | 厚生労働省 | 水道水加熱 | なし |
銭湯は、日本人の湯文化そのもの。東京や大阪なども含め、かつては日本のほぼ全ての地域で存在していました。
そのため、その湯のほとんどは温泉ではありません。水道水を沸かしたものであり、温泉法が定める「温泉」には当たりません。

日本の温泉文化は、湯への向き合い方そのものに独特のかたちを生み出してきました。一概に「温泉に入る」といっても、様々な浴槽・入浴法があります。
内湯は屋内に設けられた浴槽。雨や雪の日でも入浴できる、温泉の基本形です。

露天風呂は屋外の浴槽で、四方を山に囲まれた渓谷沿い、海を見下ろす崖の上、雪景色のなかなど、自然のなかで湯に浸かれる開放感が魅力です。

打たせ湯は、高い位置から温泉を滝のように落とし、肩や腰に当てる入浴法で、現代でいうマッサージのような効果を狙った伝統的なスタイルです。湯量の豊富な温泉地で多く見られます。

蒸し湯は、温泉の熱を利用した、日本古来の入浴法です。なかでも別府温泉の「鉄輪むし湯」は、鎌倉時代の1276年に時宗の開祖・一遍上人が開いたと伝えられる歴史を持ちます。床下を温泉の噴気が通る石の小部屋で、薬草の石菖(せきしょう)の上に浴衣姿で横たわる入浴法です。

砂湯は、温泉熱で温められた海岸の砂に、首から下を埋める湯治法です。鹿児島の指宿温泉が代表的で、海岸に湧き出る温泉の熱が砂を温めるため、自然そのままの温熱療法として古くから親しまれてきました。別府温泉にも砂湯があり、こちらは砂蒸し風呂として親しまれています。


温泉とは日本人の歴史であり、文化・慣習そのものだといえます。
地下から湯が湧くというのは、温泉を生み出すための「強力な熱源」が存在しているから。日本が世界屈指の「火山列島」であることの証です。
日本人は、千年近くにわたってこの地と共に生き、温泉と親しんできました。
そしてその湯は、神々が病を癒した伝説の湯であり、武士や僧侶が傷を癒した湯であり、江戸の庶民が長旅の果てに辿り着いた湯でもありました。形を変えながらも、湯のなかで身体をほどき、心をほどく時間は、現代でも変わらず日本人の暮らしのなかに流れています。
次の温泉旅はどこに行きますか?あなたが温泉に身を預けるとき、その湯が辿ってきた長い時間のことを少しだけ思い出してみてください。

参考文献